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ドイツのスポーツに学ぶ

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ドイツという国の現在

 みなさんはドイツという国についてどれくらいのことを知っているだろうか。かつて日本と軍事同盟を組んでいたことや、ヒトラーによる独裁政治が行われユダヤ人を虐げた歴史や、ベルリンの壁が作られ首都の東西が分断されたことはよく知られている。身近なことで言えば、ドイツは自動車産業が盛んで世界的に有名な自動車メーカーである「メルセデス・ベンツ」や「フォルクスワーゲン」の製造国である。さらに、世界的に有名なスポーツブランドである「アディダス」や「プーマ」もドイツが発祥の地である。ドイツは日本と面積がほぼ同じだが、8380万人と日本の人口1億2510万人に比べるとかなり少ない(2022年)。そして一番注目すべきことは、2023年のGDP(国内総生産)でドイツは世界3位の国になり、日本は4位と1968年以来の逆転が起こった。日本とドイツは共に第二次世界大戦の敗戦国で、産業構造や政治体系、国民の教養、経済状況など似ているところが多い国だ。しかし、昨年度とうとう国の豊かさを測る指標であるGDPで日本はドイツに追い抜かれてしまった。ここに学ぶべき点があると考える。とりわけ、スポーツの考え方が日本とは全く違っていて勉強になる。

ドイツの部活動事情

 まずはドイツの学校について見ていこう。ドイツの学校は始まる時間が早く、8時に授業がスタートする。基本は13時ごろの午前中までで授業が終わる。学校は授業で知識を教えるところという責任領域がはっきりしているから、部活動というものがそもそも存在しない。そのため、スポーツをしたい場合には地域に根ざしたNPO(非営利組織)であるスポーツクラブのメンバーになるのが一般的な方法だ。ドイツのNPOは全国で約60万(スポーツクラブは約9万)ある。日本のNPOは5万2000ほどだから「桁違い」なのが分かる。ドイツでは19世紀半ばからスポーツクラブが増え始めている。日本の部活動は学校内での組織だが、ドイツのスポーツクラブは社会全体の中にある組織だ。そのため、子供から年金生活者まで老若男女、誰でもメンバーになることができる。取り扱われている種目は、サッカー、トゥルネン(体操)、テニス、射撃、山岳登山、また空手や柔道といった日本発祥のスポーツも人気がある。それから、一種目のみを扱うクラブだけでなく、複数の競技を扱う「総合型スポーツクラブ」も多く存在する。2017年のスポーツクラブ会員数は約2380万人。年齢別では41〜60歳が4分の1以上占めており、ついで7〜14歳が17.5%。働き盛りの年代がしっかりスポーツをしている姿が目に浮かぶ。よって、日本では当たり前の部活動の「引退」という概念がドイツにはない。いつでもスポーツを気軽にできる環境があるのだ。

ドイツのスポーツに対する考え方

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 そもそもドイツのスポーツに対する考え方は社会構造から違う。ドイツの人々の毎日の生活を見ると、大人も子供も自分が使える「可処分時間」が長く、趣味やスポーツに時間をとりやすい。自治体はこういう市民の自由時間を意識した土地利用のあり方を大切にしており、「スポーツ・余暇・レクリエーション・緑地」などの健康や生活の質に関わる土地の市内面積は4分の1くらいの割合を占める(エアランゲン市)。さらにそこには、意図的に人々が知り合うきっかけづくりもデザインされている。スポーツクラブも「出会いの可能性」を高める役割を担っている。例えば、クラブハウス内には必ずレストランがあり、スポーツで汗を流した後に多世代で交流する場になっていたり、「ウィークエンド・スポーツビール祭り」といって、子供や青少年がトーナメント制サッカーの試合をしているところを地域の人たちがビールを片手に観戦するといったイベントが行われていたりする。ドイツのスポーツは人種差別や女性問題についても問題提起している。もともと移民国家であり、難民も多く受け入れている。そのような人たちへ運動・スポーツの機会提供を行い、ストレスや不安を和らげる一翼を担っている。また、宗教上の理由でスポーツをしたことがない女性が参加しやすいプログラムを用意したり、イベントを開催したり「人間の尊厳」を大切にする活動が行われている。

ドイツのスポーツの歴史

 ドイツのスポーツのルーツにも触れておこう。ドイツのスポーツクラブが扱っている種目で最も多いのはもちろんサッカーだが、その次に多いのが「トゥルネン」というドイツ独自の「体操」のようなスポーツだ。ドイツのスポーツのルーツを語る上でこの「トゥルネン」は欠かせない。「トゥルネン」はフレードリッヒ・ルードヴィッヒ・ヤーンという人がその礎を作った。19世紀初頭、ドイツの隣国フランスのナポレオンがヨーロッパでの戦争で勝利を収めていた。ドイツの前身プロイセンは負けた側で、新しい国家建設に向かうナショナリズムが強くなった。そんな時代の中、ヤーンが展開した「トゥルネン運動」には多くの若者が集まり、鉄棒、平行棒、あん馬、平均台といった体操競技だけでなく、鬼ごっこを複雑にした運動遊びなども行われた。思想家・教育家のヤーンはナショナリズムの傾向を持っていたが、出自や信仰をとりさって、運動場でともに体操をする仲間として考えた。そこには友情や寛容といった普遍的価値を持ち、社交にとんだ市民像があり、平等な人間関係に基づく、現在のデモクラシーにつながるプロセスの一部という側面もあった。

 とはいえドイツにも勝利至上主義の考え方はあった。第2次世界大戦後の旧西ドイツのスポーツは当初、競技志向が強かった。1960年代から国民の健康を意識した「第二の道」という余暇のためのスポーツという考え方が出てきた。余暇とセットとなるドイツの労働時間を見ると、1900年には週60時間だったが、1995年には週35時間とおおよそ半減している。また、ドイツは休暇のとりやすい国でもある。このため、平日でもスポーツクラブで何らかの行事がある時に簡単に休むことができる。このような歴史的背景から、ドイツではスポーツが生活に根ざしていて、社会構造の一部になっている。

日本のスポーツとの比較

 日本におけるスポーツの考え方は、かつて放送され大変人気を博した、野球が題材の「巨人の星」をはじめ、テニスの「エースをねらえ」やバレーの「アタックNo.1」、ボクシングの「あしたのジョー」などに代表されるスポ根アニメが大きな影響を及ぼしている。それらに描かれる、ライバルとの競争で勝利を得ること。そのために激しいトレーニングをこなしていくこと。「がんばれば成功する」という高度経済成長の社会ともマッチし、理想のスポーツ選手像になっていった。よって、幼少期から特定のスポーツを始め、平日の夕方には練習をし休日には試合や大会を行う生活が当たり前になっていく。この生活は、中学校、高校でも当然のように行われ、その中で体育会系の上下関係や体罰、いじめなどが勝利至上主義の名の下に横行してきた。また、日本を含むアジアの教育観として子どもを「仕立て上げる」という方法をとることが多い。子供を守る最善の方法として、彼らのために将来を用意して、才能や勤労習慣、ゆるぎない内なる自信で身を固めさせる。一方、ドイツを含む欧米諸国の教育観は、子どもの人格を尊重しようとし、真に情熱を傾けられるものを見つけるよう勧め、その選択を支え、環境を整えてやる「引き上げる」方法をとる。どちらが正解ということはないが、子どもが親のエゴによって可能性を閉ざしたり、燃え尽きてしまったりすることは避けたいものだ。

PGAの野望

 ドイツのスポーツから学ぶことはたくさんある。学校が午前中に終わるというシステムの違いがあるものの、部活動の地域移行が進んでいる日本のスポーツ業界が参考にして取り入れられる部分は大いにある。PGA athleticsは、広島県呉市が地域総合型スポーツクラブを運営するようになり、運動やスポーツを通して元気なまちづくりを実現したいと考えている。現在呉市に存在する、各種スポーツクラブの連携を図り、体育施設の管理・調整やイベントの企画等を行政とマッチアップして行う。未就学児〜高齢者まで老若男女問わず、日常にスポーツがあり簡単にアクセスできる仕組みと環境を整える。そうすることで、「地域で子どもを育てる」というまちにしていきたい。これは最終的なゴールだ。その前のステップとして、中学生時期に「シーズン制スポーツ大会」を導入する。各中学校から1チーム参加を募り、春はバレーボール、夏はソフトボール、秋はサッカー、冬はバスケットボールという様に、同一のメンバーがシーズンごとに違う競技でトーナメントを行う。少子化や部活動地域移行にともなって、野球やサッカーなどを筆頭にひとつの学校で1チームを組む事ができず合同チームを作ったり、活動停止になったりしている現状がある。「シーズン制スポーツ大会」が、その様な課題の解決にも繋がる。また、そもそも働き方改革の一環として進められている部活動地域移行だが、シーズン制を導入すれば指導する期間が限られるため教員の負担減にも期待ができる。さらに、地域の専門的な指導者やクラブチームとの連携が図れれば、「地域で子どもを育てる」ということに直結する。そしてこれらの一連の流れはPGA athleticsが推し進める「マルチスポーツ」の理想的な形でもある。いずれにしても、ドイツのスポーツに対する考え方「第二の道」である余暇としてのスポーツや、純粋にスポーツを楽しめる環境づくりを行うことが元気なまちづくりに繋がっていくと考える。

参考文献

ドイツの学校にはなぜ「部活」がないのか 著者 高松 平藏 晃洋書房 2020年11月30日 初版第1刷発行 

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この記事を書いた人

広島県呉市出身
呉市の中学校、高等学校を経て広島の大学へ。
地元に貢献しようと、これまでの教育・運動・スポーツに携わってきた経験を活かして独自の考え方で子供たちを育成している。

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